興部町歴史的遺産第1号”米田御殿”はご存知ですか?

唯一の”興部町歴史的遺産第1号”、町内に佇む「米田御殿」を紹介します!
米田御殿は、平成元年10月1日に町の開拓の歴史を印す貴重な建物として保存し、後世に継承していくため「興部町歴史的遺産第1号」に指定されました。
また、令和3年4月に米田御殿の寄贈(土地・建物・収蔵品)を所有者である米田幹寛さんから受けました。
米田幹寛さんの曽祖父である故米田常作 氏※1(1878-1961)が明治31年に興部村に入植しました。
※1
農業・造林業・商業と事業を展開しているなか、華族で貴族院議員の柳原義光伯爵(大正天皇とは従兄弟同士)が来村することとなり、当時の興部にはそのような高貴な方が滞在できるような施設は無かったことから急遽「迎賓館」として大正11年に建築されました。
「御殿の特徴」として内部は、今も当時のまま保存され、特筆すべきは、「迎賓館」として建築されたため、台所、便所などは配置されず生活感が全く感じられなく、座敷側の意匠と雁行型の縁側には、御殿の風格が感じられる建物となっております。
通常歴史的建築物は「御殿」ではなく「~邸」と呼ばれますが、米田御殿は、生活行為の建物ではなく、伯爵の一時滞在型建物であることから「米田御殿」という名称を使っております。伯爵を迎え入れた後の御殿は、結婚式などの会場として公民館ができるまで、町内の人々に広く利用されてたと聞いてます。ちなみに、興部に伯爵と呼ばれるような高貴な人が来て滞在したという記録は、後にも先にもこの時だけだと聞いてます。
「御殿に収められている収蔵品」は、柳原伯爵から下賜された伯爵直筆※2による書や円山応挙の人物画※3、尾形光琳の硯箱※4ほか、たくさんの貴重な収蔵品が保存されてます。
※2・3・4
不定期ですが、年間数回ほど一般公開もされていますので、機会があれば米田御殿に足をお運びください!